令和8年7月19日に開催された本会主催の「第31回ふじのくに山城セミナー」において、本会副会長の平井登は、『油山寺は寺院城郭か 〜地形・遺構・文献からその可能性を探る〜』を標題に、研究成果発表を行った。
平井は、広大な面積である油山寺丘陵は、その地理的環境や文献史料(『家忠日記増補追加』『油山寺縁起』など)から戦国期、とりわけ武田vs徳川の攻防において極めて重要な役割りがあったのではないかと推論している。それは、武田氏、徳川氏に翻弄される国衆・久野氏の拠点城郭・久野城と、太田川、宇刈川を抗争の境目とした丘陵上にある本庄山城、宇刈北城、飯田城などとの位置関係とその要衝性から城郭遺構があるのではないかと着眼。令和7年12月から現在において調査を進めており、今回の発表はその中間報告になるという。中でも、油山寺本坊の南西に位置する「猿万部池」周囲の丘陵上に注目し、曲輪、土塁、虎口、堀切などの城郭遺構に類似する部分について考察を示した。
また、油山寺の北方となる宇刈川に沿う春岡地区、三沢地区周辺の丘陵にも調査を拡げており、今回の発表の中で目玉としたのが、『家忠日記増補追加』に記された、“幻の「鼻欠淵要害」”についての報告である。平井は、静岡県教育委員会が昭和54年に発行した『静岡県遺跡地名表・遺跡地図』を有力資料として「鼻欠淵」の場所を特定。その地に接する丘陵上に新たに発見した城郭遺構を「鼻欠淵要害」に比定し発表したので、その配布資料(PDF)をここに掲載する。なお、本会顧問の乘松稔氏は機関誌『古城』43号、『古城確認「北城」』の論説の中で「鼻欠淵要害」について「宇刈北城」をその比定地にしている。
いずれにしても両氏の研究成果を踏まえ「鼻欠淵要害」の所在について、さらなる研究と検証が望まれる。
「発見!鼻欠淵要害」PDF