【遠江-003】篠ヶ嶺城

 
 シリーズ・静岡県の城跡 〈隔月更新〉 
遠江-003 篠ヶ嶺城
所在地 浜松市天竜区春野町豊岡字篠嶺
縄張形態 連郭式山城
標高(比高) 270m(80m)
現状 山林・雑木
創築時期 南北朝期か(気田城)
築城者 天野氏
改修時期 元亀年間(1570〜1573)
改修者 武田に服属した頃の天野氏
主な遺構 堀切、曲輪、土塁、虎口、土橋
廃城 天正4年(対徳川氏)
【概要】国人領主天野氏の居城と云われ、南に約6km離れた犬居城とともに北遠江を押さえた拠点城郭。気田川の曲折による半島状地形は水運と密接であったことが遺構からも読める。今川氏の被官期を経て徳川氏に与し、そして武田氏に服属。天正初めに徳川軍の猛攻に晒されるが一党は落延びていく。縄張りは武田氏の影響が色濃く残る。
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気田川から篠ヶ嶺城(中央)を仰ぐ
気田川から篠ヶ嶺城(中央)を仰ぐ


 

篠ヶ嶺城縄張図(作図者:水野 茂)

篠ヶ嶺城縄張図(作図者:水野 茂)

気田川を監視する曲輪

気田川を監視する曲輪

主要部へ行くには細尾根を通過しなければならない

主要部へ行くには細尾根を通過しなければならない

この岩場を上がった先に主要部がある

この岩場を上がった先に主要部がある

最高所となる物見台曲輪の手前に穿たれた堀切

最高所となる物見台曲輪の手前に穿たれた堀切

細長い物見台曲輪にある城碑と説明看板

細長い物見台曲輪にある城碑と説明看板

本曲輪の北東側に土塁が廻る

本曲輪の北東側に土塁が廻る

二の曲輪、三の曲輪間の切岸と大堀切。先端には片土橋

二の曲輪、三の曲輪間の切岸と大堀切。先端には片土橋

気田川の水運を彷彿させる平場が半島先端にある

気田川の水運を彷彿させる平場が半島先端にある

最終更新日:2025-08-13