令和7年(2025)5月11日(日)、「天正壬午の乱−若神子対陣・徳川編−韮崎の城郭」と題して第281回見学会を開催いたしました。参加者は新府城での途中合流者を含めて20名。今回は当会名誉顧問である静岡大学名誉教授の小和田哲男先生にもご参加いただきました。参加者を乗せたバスは定刻通り8時にJR静岡駅北口を出発。今回も運転していただくのは会員である市沢さんです。
心配されていた天気も前日に雨は上がり、この日の天気は午前中は晴れ、午後から曇りのまずまずの天気となりました。
東名高速道路、新東名高速道路、中部横断自動車道と進み、わずか1時間強で増穂パーキングエリアに到着。ほんとに中部横断自動車道が開通したおかげで山梨県がグッと近くなりました。休憩後40分ほど移動した10時には最初の見学地、白山城に到着。
武田八幡宮の南側の山上に築かれた城で、コンパクトな城であるにも関わらず、「必要な場所に必要な縄張り」が施された極めて完成度の高い城郭です。城史こそ不明ながら、武田氏の築城と天正壬午の乱の時期に徳川氏に味方した武川衆により改修を受けたと考えられ、その高度な築城技術が見て取れる素晴らしい縄張に参加者の誰もが魅了されておりました。
白山城を1時間ほど見学後に向かったのが七里岩の断崖上に築かれた甲斐武田家が築いた最後の城、新府城です。ここ新府城は天正壬午の乱のいわゆる「若神子対陣」時に徳川家康が本陣として布陣し、北方2里(約6km)に位置する若神子城に布陣した北条氏直の軍勢と3ヶ月にわたり対峙した城です。見学者用駐車場から北側を守る出構、搦手枡形、二の丸と見学し、本丸で昼食をいただきました。昼食後に見学した大手枡形虎口では正面に見える雄大な富士山に感激し、城という“戦うデザイン”の中にも武士の雅を、そして丸馬出と三日月堀に名門武田家の有終の美を思わずにはいられません。
新府城をあとにし、14時から能見城防塁を見学しました。新府城の北方約2kmに位置する能見城を中心に、七里岩の幅1.2kmの台地を分断するように築かれた長大な防塁です。
JR穴山駅の西側、七里岩台地の西端を固める西曲輪は見学時間の都合で割愛しましたが、穴山の市街地に残る西枡形、能見城中腹を東西に走る横堀の中央に築かれた中枡形、その先に残る北枡形曲輪、能見城東の市街地に残る邪曲輪、御名方神社に普請された黒駒砦遺構、最後に七里岩東端を守る堂坂砦跡の順に見学しました。
今回、参加者の多くが能見城防塁見学は初めてとの事で、たくさんの感激と感心の声を聞くことができ、担当理事として大変うれしい見学会となりました。 (報告者:望月 徹)