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のろし第336号 第280回見学会『東三河・作手の城郭群』(3月23日開催)ご案内

 今回の見学地は愛知県新城市の作手盆地(標高約530m)です。本会にとっては平成 19 年(2007 年)以来18年ぶりのフィールドワークになります。この地域には狭い範囲に城郭が集中して存在していますが、元亀年間(1570〜1572)からの徳川vs.武田の攻防に強く影響を受けた要衝地であったことを、丘陵を歩き巡りながら学べる城郭ファン必見の歴史観光エリアです。多数のご参加をご期待いたします。

● 実施日    令和7年3月23日(日) 
● 見学地    塞ノ神城・文珠山城・石橋城・亀山城・古宮城
● 担当者    澤田孝治理事、大木一幸理事 
● 参加費    会員6,000円、非会員7,000円 
● バス      市沢さんのバス 
● 脚力レベル  ★★★☆☆(3) 
● 申込先  こちらから☞ s-kojouken@outlook.com
● 締切日  令和7年3月19日(水)※但し、定員になり次第締め切ります 
● 定員28名
● 身支度    ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当、飲物類 
 ※ 悪天候の場合は、当日午前6時の時点で中止または延期を判断してお知らせします

● 日程(予定) 
 8:00        JR静岡駅北口集合、バス出発 
 8:10        東名高速・静岡IC 
 8:45         小笠PA (乗車地)
 9:10         三方原PA(乗車地) 
 9:20         三ケ日JC  → 新東名高速道路へ 
 10:00       新東名高速・新城IC 
 10:10       道の駅「もっくる新城」 トイレ休憩 
            ↓ 
 11:10       道の駅「つくで手作り村」 (バス駐車場所)
 11:40〜12:05  塞ノ神城見学 
 12:35〜13:15  文珠山城見学(昼食) 
 13:50〜14:10  石橋城見学   
            道の駅「つくで手作り村」(バス駐車場所) 
 14:20〜14:45  亀山城見学 
 15:00〜16:00  古宮城見学 
     ↓ 
 16:40〜17:00  道の駅「もっくる新城」 
             ↓ 
 17:10       新東名高速道路 新城IC 
 17:50       三ケ日JC  → 東名高速道路へ
 18:00       東名高速・三方原PA (下車地)
 18:25       東名高速・小笠PA (下車地)
 19:00       JR静岡駅南口 解散 
 
 ★会報「のろし」第336号PDF
 

見学先概要

【塞ノ神城】 
 元亀年間に三河に侵攻した武田軍により築かれたとする説、武田氏と和睦した奥平氏が文珠山城とともに築いたとする説、さらに奈良時代に三河三大長者のひとりで作手郷開拓の祖といわれる米福長者によって築かれたとする説もあるが、武田方の拠点として築かれた古宮城と連携して作手往還をおさえる城として運用されたと思われる。築城年代も定かではないが、元亀年間(1570年〜1572年)に奥平氏によって築かれたと推定される。 
 
【文珠山城】 
 亀山城主の奥平氏が一夜にして築いたと伝えられ一夜城とも呼ばれている。標高661mの山頂に築かれており、現在は公園として整備され櫓を模した展望台が設置されている。文殊山城は、奥平氏の居城である亀山城の北西900mにあり、武田氏の拠点といわれる古宮城の西1100mに位置している。また、武田氏の砦と伝わる塞之神城とは尾根続きの東700mにあり別郭一城の構えと思われる。遺構は単郭式で、東西に長い楕円形の主郭には土塁と帯曲輪が巡らされている。 

【石橋城】 
 築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1426年)に石橋弾正久勝によって築かれたと伝わる。石橋久勝は奥平氏二代奥平貞久の二男で、この地に屋敷を構え石橋氏を称したという。天文6年(1537年)石橋弾正繁昌は主君への謀反が露呈し、奥平貞勝の命を受けた土佐定雄によって攻められ郎党四十人余が討ち死にした。石橋城は現在の慈昌院の境内となっており、境内の北から東側にかけて土塁と堀が残っている。 

【古宮城】 
 古宮城が同時代の史料に全く登場しないため、城史については明らかではないが、『三河国二葉松』によると元亀2年(1571年)に武田信玄が馬場信春に命じて築城させたとある。独立丘陵を丸ごと全て削工を加えた遺構は圧巻で、随所に武田氏の築城技術が盛り込まれた姿を見る事ができる。街道上の要衝に立地し、当時武田氏が抗争していた三河の徳川氏攻略の拠点として築城されたと考えられ、『二葉松』によると小幡又兵衛、甘利左右衛門、大熊備前守が在城したと記されている。廃城の時期についても明らかではないが、天正3年の設楽原の戦いで武田氏の勢力が大きく後退した時期の可能性が高い。三河国北東部の山間地にある作手盆地の中央部に立地する。城のすぐ西には作手盆地を南北に縦貫する作手街道が走り、また城の南側には作手街道から分岐した街道が東に伸びるなど、山間部の交通の要衝といえる位置にあり、また、城は周辺からの比高30mほどの小さな独立した丘にあり、作手街道を挟んで西側には塞ノ神城のある本城山が迫っている。
 

最終更新日:2025-02-27